10月12日 佐渡島・宿根木撮影の旅−12 [撮影旅行]
10/1
花の木さんに2泊しました。
朝食後、小木港まで送っていただいて、
フェリーに乗り込みました。
フェリーではじっと座っていられなくてデッキに出ました。
新潟港から両津港へ渡る船より半分ぐらいに船でしたが、それでも大きいです。
行きはこれが欠航してしまったわけです。
小木港葉風当たりが強いようです。
えびせんを持っている方にカモメが集まってきます。
横目で見ながら上手にくわえていきます。
一袋全部カモメさんに食べられました。
直江津港からバスで、上越妙高まで出ました。
妙高駅は立派な駅舎です。
でもトイレを探したら、駅構内にはなく、建物から出た外にありました。
こんなりっぱな駅舎なのになんで?
設計するときわすれたのかな〜。
購入した切符はキャンセルしてあるので、再度並んで買い直しました。
切符はジパングクラブの30%引きで購入します。
会員手帳というのに書き込んで出しますが、友人はいらないと言っていました。
今回理由がわかりました。
このカードで支払いをするときは用紙に記入する必要がないようです。
ただのviewカードでは記入が必要でした。
お土産にねこまみれという菓子を買いました。
単に可愛かったからです。
期待はしていなかったのですが、ねこちゃんの2枚のクッキーの間にミルク味のシートが挟まれていてとてもおいしかったです。
思っていた以上でした。でも内容量がすくなかったかな?。
三ばばの旅は無事終わりました。
あたふたしたのも楽しい思い出になりました。
10月10日 佐渡島・宿根木撮影の旅ー8 [撮影旅行]
9/30 宿根木
友人が帰られた後、二人は歩いて、宿根木へ向かいました。
タクシーを頼みたいほど遠いと思っていた宿との距離はすっかり近くなっていました。
博物館を出て、
昨日覚えた新しい郵便局の前の十王坂を下りていきました。
近道を覚えました。
二人になって、ちょっと寂しい旅になりましたが、撮影をしているとすっかりのめり込んでいきます。
今日は土曜日なので、建物の内部を公開していました。
一番有名な「三角家」と言われている三角形の建物の内部を拝見しました。
川の流れで出来た三角形の中州を利用して建てられたそうで、舟形の家とも呼ばれているとのこと。
平面図
仏間
壁に色々説明が書かれていました。
深野アサさんという人が住んでいたようです。
説明文には本人の写真と以下の文が書かれていました。
壁に色々説明が書かれていました。
深野アサさんという人が住んでいたようです。
説明文には本人の写真と以下の文が書かれていました。
深野アサさん(1918年〜2012年)大阪にて撮影。94歳。
深野さん夫婦は、昭和24年以前住んでいた彦四郎さんからこの家を買い取り、住み始めました。このユニークな形の家で、様々な工夫を重ね、三角家で見事に生きてきました。
4人の子供にも恵まれ、家族仲良く暮らしていました。東京への移住も考えていましたが、夫がマラリアにかかってしまったため、東京に行くことを断念し夫は昭和40年に他界し、残されアサさんは、4人の子供達と共に暮らし続けました。この家には平成18年10月3日まで暮らしていたそうです。
深野さんが暮らしていた当時からこの家は人気があり、三角家や船形の家などと呼ばれ、多くの人々から親しまれていました。
深野さんは平成18年10月4日に住み慣れた宿根木を離れ、長男がいる大阪へ行くことになりました。その時に、この家を宿根木のために役立てて欲しいという気持ちから、家をそのまま寄付してくださいました。
旧郵便局
清九郎 宅
HPより
江戸時代後期から明治にかけて財をなした船主の邸宅で、清九郎家に売却されたもの。
建築は19世紀中期とみられています。ケヤキや一本杉の漆塗り戸など建築材料、技術とも当時の最高水準を誇る建物です。
外から見ると普通の他の家と同じような古びた家でしたが、中は総漆塗りの豪邸でした。
囲炉裏の間で説明を受ける見学者。
囲炉裏の間
神棚
仏間
二階のお座敷
お座敷のふすま絵
屋根に乗せてある石
薄い板を重ねて海かぜに飛ばされないように石をのせたようです。
今は瓦の屋根が多くなっているようです。
10月9日 佐渡・宿根木撮影の旅−7 [撮影旅行]
9/30
友人を起こさないように早朝撮影に出ました。
部屋の外はたんぼです。
ヒガンバナがちらほら咲き出していました。
これからという感じでしたが、咲きだしはきれいです。
このお地堂さんが宿への曲がり角です。
宿の駐車場
朝食
旅行の予定は28〜30でしたが、船の欠航で遠回りをしました。
そんなことで、両津港で一泊しましたので、一日ずらせています。
一人は予定が取れず今日帰られることになりました。
小木港から直江津港に出る船で帰ることになります。船の時間に会わせて送っていただきました。
残った二人は、今日は歩いて宿根木まで行くことにしました。
宿から宿根木までの距離が大体頭に入ってきているので、大丈夫でしょう。
佐渡一周線を西に歩きます。
途中にある、佐渡国小木民族博物館へ寄りました。
千石船の白山丸が、展示されていました。
まだ新しいです。宿根木で建造された「幸栄丸」を当時の設計図を元に忠実に実物大に復元したもののようです。
地元の白山神社にちなんで、「白山丸」と名付けられたそうです。
白山丸の展示されている建物です。
白山丸の展示されている建物です。
内部、その下にも降りられるようでしたが、手すりがないので、やめました。
わらじ
お隣は、民族博物館になっています。
旧宿根木小学校をそのまま博物館にしています。
こんな部屋もあって、昔の面影を残していました。
私もこんな机で勉強した覚えがあります。
とにかく集めた数が凄いです。部屋の大部分が時計です。
そしてランプです。
1つや2つじゃないのです。
佐渡島じゅうから集めたのかしら。凄い量です。
ここにあるものは私たちはまだ覚えていますが、この後の人たちは使い方もわからないでしょう。
裏口から出て、新館にもよりました。
裏口から出て、新館にもよりました。
10月8日 佐渡島・宿根木撮影の旅−6 [撮影旅行]
9/29
十王坂の下りの階段です。
年寄りにはこたえます。
ゆっくりと降りていくと蛙さんに出会いました。
称光寺によりました。
称光寺によりました。
崖下の薄暗いところにあります。
まだいっていない路地をまわって、入り口の案内所に戻りました。
青木さんが声をかけてくれました。
距離がわからないので、坂道でもあるし、タクシーを頼んでもらいました。
青木さんは「くるかなー」と言いながら電話してくれましたが、断られました。
「ゆっくりいけば大丈夫だよ」と言うので、お礼を言って坂をだらだらと登っていきました。あとから知ったのですがそう遠い距離ではなかったので、来てくれなかったのでしょう。
観光案内所の窓枠
少し登ったあたりで、遠くから青木さんが呼び止める声が聞こえました。
観光案内所の窓枠
少し登ったあたりで、遠くから青木さんが呼び止める声が聞こえました。
たまたま通りかかった地元の方の車に頼んでくれたのです。
若い女性の方の車でした。
同じような名札を下げていらしたので、お仲間かもしれません。
その方に送っていただいて私たちはお宿に無事つきました。
お宿・花の木の入り口です。
花の木に泊まることも今回の目的の1つでした。
その方に送っていただいて私たちはお宿に無事つきました。
お宿・花の木の入り口です。
花の木に泊まることも今回の目的の1つでした。
それは宿根木に行こうと計画していた去年のこと、たまたま昔、Contax online clubを作って繋がっていて会長だった方が、宿根木に来られていてFBをアップされたのでした。
「私たちも行きたいと思っているのです」とつなげると、「花の木」に泊まることをすすめてくれいろいろな情報をくださいました。
「私たちも行きたいと思っているのです」とつなげると、「花の木」に泊まることをすすめてくれいろいろな情報をくださいました。
昔々、まだパソコン通信といっていた頃からのお知り合いでした。
扉を開けると広い土間になっています。ガラス戸越しに中庭が見えます。わ〜っと声を上げました。中庭には大きなネムノキが。
陶芸家のご主人の作品が飾られていました。
左側は一枚板のテーブルが何席か。
離れに案内されました。
17時半です夕焼けがきれいでした。
お食事も、外からお客様のように出かけていきます。
お刺身と蟹がメインです。
甘〜いワインでした。
10月7日 佐渡島・宿根木撮影旅行−5 [撮影旅行]
9/29小木港から宿根木
花の木さんにお迎えをお願いしていたのですが、家族で経営をされているようで、女将が車で出ていてお忙しいようで、なかなか連絡が取れず、お迎えに来ていただく間にレストランでピザのお昼です。
そのピザ、とてもおいしかったです。
連絡が入り、小木港から宿根木へ送っていただき、私たちは降りて、荷物を宿に持っていっていただくことにしました。
入り口には観光案内所がありました。
お話を聞きながら、一休みさせていただきました。
青木さんとおっしゃって、お話しが上手で、いろいろ説明していただきました。
ご親戚の方が、俳優をやっていると言うことでした。
佐渡 稔さん(さわたり みのる)とおっしゃって、東京ボートヴィルショーを結成しているとのこと。佐藤B作さんとか一緒だそうです。
テレビドラマに出演されていると言っていました。
私たちは宿根木の町並みを撮影したくてここに来ました。
宿根木は
HPより
佐渡金山が栄えた17世紀を経て、北前船の寄港地として発展した小木海岸の入り江の集落。
迷路のような路地に今も100棟を超える板壁の民家が密集しています。船大工の技術が結集した宿根木の町並は、国の重要伝統的建造物群保存地区。そこには人々の暮らしと歴史が交差する静かな時間が流れています。
迷路のような路地に今も100棟を超える板壁の民家が密集しています。船大工の技術が結集した宿根木の町並は、国の重要伝統的建造物群保存地区。そこには人々の暮らしと歴史が交差する静かな時間が流れています。
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青木さんに教えていただいた共同井戸まで来ました。
高台に住むようになった人たちが水をくみに通った階段が、すり減っているという話しでした。
その階段です。方岸坂(ほうがんさか)。
ここで私は迷子になりました。二人の姿がパタッと消えました。
電話するとこの階段を上っていったようです。後を追いかけました。
途中から町並みの瓦屋根が見渡せました。
広い通りに出て、高台に新しい郵便局がありました。
何代ものセニアカーが来ています。通称はシニアカーらしいのですが、スズキが発売しているものはセニアカーと名付けているようです。
ゆっくり走る電動くるまいすかな?。言いな〜これほしい。
乗ってきた方が言うには30万ほどするんだそうだ。知り合いに野菜を送ると言って、重そうな箱を持ち上げて郵便局の中へ。
階段を登ってしまったのですが、まだ撮影したい場所もあるので、今度は違う階段〔十王坂)を降りました。
10月5日 佐渡島、宿根木撮影旅行−4 [撮影旅行]
9/29 両津港のバスターミナルまで宿の送迎バスで送っていただき、バス待ちの間、その近辺を散策。
妙法寺という大きなお寺がありました。建物の周りはみんなお墓です。
どこから見てもお墓です。
古そうなお墓もありました。
こちら側が表でした。
妙法寺の正面。
お隣にもお寺が。勝庵寺。
途中の廃屋。
バスに乗って、小木港に向かいます。途中「真野新橋」で小木線に乗り換えます。
バスでの乗り換えは始めてです。
休憩所とトイレが作られていました。
これで、小木港まで、向かいます。
小木港には今日宿泊する「花の木」さんがお迎えに来てくれることになっています。
「花の木」さんに泊まるのも今回の目的です。
今は皆さん車で動いているので、送迎は少ないようですが、お願いしました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
家に帰ってきたら、ネリネの花が咲くどころが葉っぱがみんな無くなって、残っている葉には沢山の虫が付いていました。
調べると、ヒガンバナ系の花につく虫で、ハマオモトヨトウムシというようです。
黄色とクロの縞の小さい芋虫です。
葉に着いているのは箸で取りましたが、よく見る球根の中央の中にも潜んでいます。こじ開けてつまみ出しました。
アマリリスや、すいせん、タマスダレ、ヒガンバナなどに着くようです。
今朝はタマスダレにも見つけました。
10月4日 佐渡島・両津港近くに1泊−3 [撮影旅行]
9/28 佐渡・両津港近くに1泊
今日のお宿は両津港から車で7分の所にある「志い屋」さんです。お迎えの車で、宿へ着きました。日が暮れていました。
慌ただしく出かけてきたのが嘘のように、のんびりとお食事につきました。
宿は両津港ターミナルから加茂湖を挟んだ対岸にありました。
どさくさで選んでくれた割にはとても良い宿です。
安くていいところはどこもいっぱいだったそうです。
お食事を済ませ、温泉に入り、やっと旅の気分になってゆっくり出来ました。
疲れもあって、あっという間に寝てしまって、いつもの5時半に目が覚めました。
家ではスマホのアラームをかけていますが、友人が寝ているので切っておいたのですが、習慣は恐ろしいですね、きちんと5時半でした。
そっと着替えて、朝さんぽに出ました。
朝やけが真っ赤です。
夜着いているので、周りの様子が全くわからないのと、まだ薄暗いので、気をつけて移動しました。
なんだかちょっと恐ろしい感じの建物です。廃屋?いえ廃ホテルのようです。
建物の隙間から朝焼けがきれいでした。
なんか気味悪くなって、急いで戻りました。
草むらからササッと動くものがあって、逃げました。後で聞いてみると「かに」だそうです。朝食の時も部屋に入ってきていました。
少し明るくなってきたので、宿の屋上に上がりました。
さっきの廃屋のビルが目の前でした。
左側には船着き場がありました。
左側には船着き場がありました。
朝食後、3人で、近くを散策。
何もない空き地や、道具置き場のような、閑散とした所でした。
夜だったので、気がつきませんでしたが。
何枚か撮ったものの収穫なしで、宿に戻りました。
今日は宿根木までバスで移動です。バスの時間に合わせて送ってもらいました。
10月3日 佐渡島、宿根木撮影旅行−2 [撮影旅行]
9/28
フェリーが運休したことで、急遽、予定していた小木港に渡ることが出来なくなり、新潟港から両津港に行く事に変更しました。
私はその日の夕方JRの窓口が19時までだというので、切符の変更に急ぎました。
3人の1人は、当日の朝JRの駅で変更することにしたようで、混んでいたのか、遅れて、新幹線に間に合わなくなりました。
私たち二人はそのまま新潟に予定の新幹線で向かいました。彼女には次の新幹線で来るよう伝えて、新潟で待つことにしました。
その間、フェリーの時間などを調べて、次は16:00です。それに乗ることにして、
彼女が着いたのは12時半頃、どこへ行くでもなく新潟駅で、お昼を食べて、のんびり過ごしました。
フェリーは
15分前に乗船させてくれました。
船の中は珍しく探検して回りました。
甲板に出るとパラパラと雨が降ってきました。
大きな船です。
船は出航しました。
雲が垂れ込めています。ほんの少し太陽がのぞいてきました。
めまぐるしく空が変わります。
船は出航しました。
雲が垂れ込めています。ほんの少し太陽がのぞいてきました。
めまぐるしく空が変わります。
ドラマチックです。長い船旅ですが、飽きません。
団体旅行の添乗員さんです。ずっと甲板で雲を見ていました。
新潟港に付く頃は暗くなってきました。
ときわ丸に乗りました。両津港です。
急遽、両津港で一泊することにしたので、お迎えを頼みました。写真を撮っていたので、下船が最後になり待たせてしまって申し訳なかったです。
無事、宿に着きました。遠回りをしたので、1泊余計になりました。
10月2日 佐渡島、宿根木撮影旅行−1 [撮影旅行]
9/27
写真クラブの例会に出席しているときに、明日から一緒に撮影に行く友人から、「風が強く船が欠航だ」と連絡が来たと電話が来ました。
急いで家に戻り、友人とオ計画の練り直しです。
タマスダレ
タマスダレ
撮影に佐渡島の宿根木へ3人で行く予定です。
ところが船が欠航ということになり、船の予約も、電車の切符もすでに購入済み。
予定は東京→上越妙高→直江津→直江津港→船で小木港の予定でした。宿も2泊取ってあります。
予定は東京→上越妙高→直江津→直江津港→船で小木港の予定でした。宿も2泊取ってあります。
行くかやめるかの判断を聞かれ、とっさのことで、とにかく二者択一を求められ「行く」という選択をしました。
ジュランタ
ジュランタ
それからの彼女の俊敏な行動には頭が下がります。
駅の案内所は午後19時までだそうで、佐渡汽船から連絡が入ったのが15時過ぎでそれから
コースの変更、両津港は船が出ているというので、切符の変更から船の予約、その後両津港での、宿の手配まで。港から宿までの移動方法の対処。
本当に短い時間あたふたとやってくれた友人に感謝です。
駅の案内所は午後19時までだそうで、佐渡汽船から連絡が入ったのが15時過ぎでそれから
コースの変更、両津港は船が出ているというので、切符の変更から船の予約、その後両津港での、宿の手配まで。港から宿までの移動方法の対処。
本当に短い時間あたふたとやってくれた友人に感謝です。
コース変更が決まって、急いで切符の変更に駅へ走りました。
駅の窓口ではよりによって、男性が、購入した切符の一枚をなくしたという相談をしていて、駅員も対処できず、本社?に電話をかけてきいているようで、なかなか終わりません。私の後ろには数人が並びました。イライラしたものの、順番が来て無事変更が出来ました。外は暗くなっていました。
ルエリア
これで明日は無事に出発できることになり、一安心のはずでした。
9月21日 川越蔵の町 [撮影旅行]
9月21日 川越蔵の町
暑い日でした。それでも沢山の人が来ていて、びっくりです。
自分も来ているのですけどね。
シャッターを押すと同時に隣の人が何かを指さしました。
再度一枚。
ここも交差点「札の辻」。モノクロにしました
菓子や横町に行きました。
昔の雰囲気を残している店はここだけでした。
着物のお嬢さんがいたので、声かけて写させていただきました。
どのお店にも人が入っています。黄色い建物と黄色い車。